学校は新年度に入り、始業式や入学式が行われ新鮮さと忙しさが同居する季節です。
「早期退職の日常」の中で私が「困ったこと」を紹介してみようと思います。
1.自己紹介する時の肩書がない
働いているときは、初対面の人に「初めまして、〇〇中学校のまるすです」と名乗れました。
また、電話を掛けるときも「〇〇中学校の進路指導主事のまるすと申します。」というだけで、スムーズに用件を伝えることができました。
職場体験を受け入れてもらった企業の社長さんや、生徒勧誘に来た高校の先生と名刺の交換をして連絡先を知ることもできました。
何の肩書もないので、電話でも「まるすです」と名乗るしかありません。
辛うじてつけるとすれば、住んでいる地名くらいでしょうか。(〇〇町のまるすです…とか)
つい「〇〇中学校の…」と名乗って、担当者に電話を取り次いでもらったことがあります。
定年退職した男性が「孤立」を感じたり、自分の「無力」を感じたりするというのがなんとなくわかりました。
所属する組織名や「肩書」がない自分の名前というのは、丸裸でさらされている感じです。
でも結果的に、退職後に私が所属したコミュニティーでは、肩書がなくても困ることは何もありませんでした。
逆に「学校の先生だった」と知られないことが、プラスに働いた気もします。
2.自宅に一日中こもっていて、人に会わない
毎朝6:30分には起きて、洗濯掃除をします。その後出かけることもありますが、昼過ぎまでパソコンに向かって過ごします。
教員時代は毎日、スーツを着てネクタイをしていました。
しかし、家の中にいるのでネクタイをするどころか、襟のあるシャツすら着ませんでした。
外出する時もラフな格好で、マスクをしているので髭もそらないこともしばしば。
しかし、それが気になりません。
そんな生活をしていると、てきめんに身体に変化が現れました。
①眼精疲労が強く、視力が低下して眼鏡の度数が合わなくなった
②視線が常に下にあるので、まぶたがたれさがってきた
③しゃべらないので声帯が弱り、声が出にくくなった
教室では一番後ろの座席に座っている生徒の顔が見えるように、「1.5」の度数に矯正していました。辞めてからはそれも必要ないので、以前使っていた「1.0」の眼鏡をかけていました。しかし手元の画面ばかり見ているので、遠近のピントが合わなくなり困りました。
誰かと向かい合うときは自然と目を見開くので、顔の筋肉を使っていたのですね。
教員はしゃべることが商売。自分で言うのもなんですが、結構「イケボ」でした。それがカッスカスの声に。
人とかかわることで、肉体も精神も刺激を受けていたのだと改めて感じさせられました。
3.固定収入を得る手段がない
辞める決めた時から分かっていた話ですが、「収入源」がなくなりました。
その分、節約に気をつかうようになり、格安スマホに変えたり、使わないものをメルカリやヤフオクに出品したりもしました。
指導員としてソフトテニス部の指導に行くことで支給される「1000円」が唯一の収入。
ウェブライターとして収入を得ることを考えていたので、クラウドソーシングのサイトに登録して案件を探します。
スキルアップと実績作りのために「WordPress」を使って、このブログ立ち上げました。
しかし、かけた時間に見合う収入を得るのは、本当に難しいことです。
早期退職するにあたって、お金に関する知識を学ぼうと「FP3級」の資格を取りました。
その時に見ていたYouTube「リベ大」で資産運用の重要性を知り、辞める前から資産運用を少しずつしていました。
つみたてNISAでインデックス投資をしていたのですが、個別株投資を始めました。
勉強しながらの投資。少しずつ収益を上げられるときもありますが、「損切り」も多く、トータルの利益は本当にわずかなもの。
「60歳までに収入を得ることができるようになれば良い」とは思っているのですが。
「FIRE」なんて無理なので、月10万円稼ぐ「サイドFIRE」を目指しています。
どうなることやら…。