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浅田次郎の小説

「永遠の緑」

私は競馬場に行ったこともなければ、馬券を買ったこともない。でも、浅田次郎の作品を読むようになって、競馬に興味を持ったのかもしれない。

「永遠の緑」……「姫椿」2001年 文藝春秋社

冒頭が予感させるもの

朝の目覚めが良くなったのは、年齢のせいではない。体力が充実し、気力も横溢しているのだ。
――と、そう思うことにしている。

「姫椿」2001 文芸春秋社

目覚めが良くなった、ということは以前はそうではなかったということ。

「早朝覚醒」は加齢やストレスによって、体内時計や睡眠パターンが変化したために起こるそうである。具体的には、「予定していた起床時間よりも2時間以上早く目覚めてしまう」とか「再び眠ろうとしても、眼が冴えて眠れなくなってしまう」という症状。

そういわれれば、私も思い当たる気がする。教員時代、体力十分で気力も充実しているときは、パチッと目が覚めていた。しかし、疲れ果てるほど体を動かすわけでもなく、神経を擦切らすほど気を使うことのない今。「なんとなく」目が覚める朝が多い気がする。

「年齢のせいではない」と言い聞かせながらも、この人物は老いた自分を認めている。そうでありながらも、どこか明るい未来を予感しているような気もする。

登場人物の視線と息づかい

「永遠の緑」はもともと、JRAが無料配布している競馬情報誌「KEIBA CATALOG  vol.18」のために書かれた物語である。その表紙は、当時JRAのテレビCMキャストだった緒形拳と松嶋菜々子の写真だ。シックな乗馬クラブで父と娘がテーブルで向かい合っている、そんなシーンをイメージさせる。

競馬好きの人が読む雑誌なのだから、地名はもちろんのこと、出てくる人物も「いそうな人」が設定されている。競馬を知らない私でも情景が目に浮かぶのは、競馬場に通い続けた浅田次郎の観察力の賜物であろう。

妻に先立たれた競馬好きの大学助教授、牧野博士。競馬場では「先生」と呼ばれている。娘の「真由美」が最近、競馬を始めたことで、恋人の存在に気づく。どうしたものかと気をもむ父親。そんな娘は、自分が嫁に出たあとのことを心配する。偏屈者の父親を一人でおいておくことはできない。緒形拳と松嶋菜々子はどんな表情で演じるのだろうか。

博士の競馬仲間に「解体屋」と呼ばれる若者がいる。

この青年が仲間たちに愛される理由は、まるで体全部でものを考えるような、こうした素直さだ。

「姫椿」2001 文芸春秋社

この青年はどんな言葉も、意味のない廃材を担ぐように、ひょいと受け止める。頭上に、解体屋の鉄球が落ちたような気がした。掛茶屋の雑踏の前で、博士は根の生えたように立ち止まってしまった。

「姫椿」2001 文芸春秋社

「比喩」は浅田次郎の魅力のひとつである。唯一無二の例え。どうして、そんな言い回しを思いつくのか、という絶妙の表現。

25歳の若者をこの物語に登場させる。30年前の競馬場のスタンドにもいそうな、ブルーカラーの青年。彼の職業は「解体屋」でなければならなかったのだ。博士の価値観を壊し、時を止めて逃れることのできぬ「檻」のような家を壊すために。そして最後に彼は「破壊」ではなく、「新たな入口」を作ることを提案するのだ。

博士の妻、そして真由美の母の名は「みどり」でなければならないと気づいたのは、私がこの物語を3度目に読んだ時だった。

プロポーズは競馬場。皐月賞の前日に挙式をし、大学の教え子だった彼女は「人生の鞍替え」をして、妻となる。ダービーを的中させた帰り道の掛茶屋で妊娠を告げた彼女は、昭和が平成と改まった年の秋、幼い真由美を残して、短い生涯をおえる。

血圧が上がり、心搏が危うくなった。医師がビニールの被いを開いた。

「みどり。おい、みどり。死ぬな」
妻の魂を呼び戻そうと、博士は名前を呼び続けた。
「みどり、みどり、みどり」
細い顎をわずかにもたげると、妻は永遠のターフを走り去ってしまった

「姫椿」2001 文芸春秋社

駆け抜ける馬たち

牧野博士とみどりの結婚を決めたのは「カブラヤオー」。初の中山コース。初のマイル戦。そして8番人気。2着に6馬身の差をつけて、二人の前を駆け抜けた。

真由美をの命を授かったことを博士が知ったのは、そのカブラヤオーが第42回日本ダービーを制した日。

みどりが人生の最後に聞いた勝ち馬の名は「オグリキャップ」。しかしそれは博士がついた「人生に一度きりの嘘」でもあった。この馬が奇跡を起こしてくれると信じていたのだ。クビ差でおよばなかった馬の名は、牧野家の仔猫「オグリ」として生き続ける。

そして、真由美が未来を託すのは「エバーグリーン」

新馬戦の若駒たちがダートコースに姿を現した。
あの中に、未来のカブラヤオーやオグリキャップがいるのかもしれない。
先頭の馬が四コーナーを回ったなら、母とそっくりの声を張り上げようと真由美は思った。
ゼッケン六番、エバーグリーン。
勝つのはきっとあの馬だ。

「姫椿」2001 文芸春秋社

真由美が自分の運命を賭けたのは、「みどり」という母の名を冠した「エバーグリーン」。そう、「永遠の緑」なのだ。

  • この記事を書いた人

まるす

「人生は一度きり。やりたいことをやってみる」と決心し、公立中学校教員を55歳で早期退職。FP資格を取得。おもしろいことを探している専業主夫。

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